金本位制から変動相場制へ
現在、ドルが基軸通貨であることは自明の事実ですが、米国は基軸通貨国の地位を一朝一タに確立したわけではありません。ドル以前は、英国のポンドが基軸通貨でしたが、英国の国力衰えたため、20世紀に起こった二度の世界大戦の問に、ポンドは基軸通貨の地位を追われることになります。
第二次世界大戦終結間際の1944年、米国のプレトン・ウッズに世界各国の代表が集まり、金とドルの交換比率を金1オンス(約31グラム)=35ドルと決め、ドルを基軸通貨とする固定相場制度(プレトン・ウッズ体制)が発足しました。前述したようにこの体制では、ドルと金の交換比率を保証することにより、ドルが将来も流通し、価値を維持するという人々の「期待」を促す仕組みでした。日本は1949年にプレトン・ウッズ体制に加わり、円は1ドル=360円と定められたわけです。
この仕組みは当初うまくいきましたが、米国がベトナム戦争に敗北し、日本と西ドイツの経済力が向上し、米国の経常収支が悪化し始めると、人々の間にドルが切り下がるとの期待が高まり、ドルを金に交換する動きが強まりました。
この制度では、あくまでも人々のドルは将来も流通し価値を維持すると期待を促すために、一定比率でのドルと金の交換が保証されただけで、ドルが切り下がるとの期待の中、人々が米国にドルと金の交換を迫れば、米国はたちまちその要求に応じられなくなりました。これが71年8月のいわゆるニクソン・ショックですが、米国は、ドルの金への交換を一方的に停止し、プレトン・ウッズ体制は破たんしました。
予想外に長期存続している|変動相場制
その後、同年12月に主要国の代表が、ワシントンのスミソニアン・インステイチューションに集まり、ドルの切り下げが行われました(スミソニアン合意)。この際、円は1ドル=308円に切り下げられました。しかし、1973年2月に、ドルは再度切り下げられ、各国はなし崩し的に固定相場制を離脱し、変動相場制へと移行しました。
この体制は、奇跡的に長続きし現在に至っています。 ドルが金という裏打ちを失い、しかも、その経済力が相対的に悪化しドルの下落が続いているのにもかかわらず、なぜドルはこれまで基軸通貨の地位を維持することができたのでしょうか。それは、これまで米国以外に基軸通貨国の要件を満たした国がなかったことと、ドルが基軸通貨として広く普及したため、人々がドルの使用を断念することに二の足を踏むようになったことがあげられます。
前述した基軸通貨と基軸通貨国の要件(1)~(5)のうち、(5)通貨価値の安定以外は、これまで要件を何とか満たしてきました。また、人々がドルの使用を断念することに二の足を踏むようになったこととは、経済学では、ネットワーク外部性と呼ばれ、たとえば、パソコンのOSとしてウィンドウズが一度独占的に普及してしまうと、多少問題があっても、利便性が勝りその地位をなかなか失わないことと同様の現象です。
しかし、いよいよドルも年貢の納め時が迫っているように思われます。